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2004年12月22日

これから、

 文字どうりこれからツアーに出発するんだけど、(時間をみて下さい)ストーンズがレコーディングを始めたらしいんだよ!スッゲうれしいよ。ただそれだけなんだけど、書きたくなったんだ。では皆さん、良いクリスマスを!!

2004年12月17日

最近気付いた事1。

 先日、ツアーの最終日吉祥寺Star Pine's Cafeでのリハーサル時にこんなことがあった。
本番での演奏の楽しみが減るので滅多にやらないのだが、その日に限ってMo' Funkyをやってみた。ところがどうにも「いい感じ」がでない。そこでボクとドラマーのポッキーの間でこんな会話がなされた。
D「おい、ポッキー、もうちょっと真剣にやってくれよ。リハーサルだからといっ
 て流さないでくれよ。」
P「そんなつもりないんですけどね〜。」
D「なんか、決まった感じでやってない?全然突き上げてくる感じがないんだよね。」
P「いつも通りやってるんですけどね〜。」
ポッキーは何も間違えていない。本当に真剣にいつもどおりやっていたのだ。しかし、不幸(?)なことに、その日ボクのテンションは「いつも」よりもずっと高く、それでメンバーがいつもどおりやっても感じが合わなかったという訳。もちろん、その後ミスドにてツッコんだ話をしていく事で、本番のステージでは素晴らしい演奏ができるまで気を合わす事ができたのでした。このような事態はよくあることなのでボクはその時気にもとめなかったのだけれど、偶然最近クラシック音楽に関係している本を続けて読んだり、聴いたりしててハタと、ボクはバンドをチューニングしようとしてたのだな、と思い付いた。
 チューニングとは知ってるとは思うが、普通は音を合わせる事である。例えばギターの弦を低い方から順にEADGBEに合わせる。もちろん、全員(といってもズボンズの場合は3人)同じEに大体合ってなければならない。これがクラッシックのオーケストラならば何十人もの演奏者が合わせる事になる。これは我々のようにチューナーでチョイチョイと合わせる感じとは大違いで、かなり厳密な作業であるのらしい。ボクらはそこまで厳密に音のチューニングはやらないが(それで良いかどうかは別にして)、そのかわりバンドのチューニング、つまりメンバー間のテンションのチューニングが必要になってくるのではないか。誰もがそうかは知らないが、ボクらはバンドのチューニングが上手くできてないと良い演奏が生みだせないのだと思う。それは完全に決まった絶対音みたいなものはなくて、結局のところリーダーであるボクのテンションに合わせていく事になる。そこでまた思うのだけれど、大体ロックなんて音楽はテンションが高ければ良いみたいに思われているフシもあるが、それよりもバンドのチューニングがキチンと整ってさえいれば(そしてプレイヤーがちゃんと面白い音楽を生み出そうとしていれば)きっと良い音楽になるのではなかろうか。結局は一体感と一言でかたづけられてしまうのかもしれないのですが。その事に気付いてからはボクは意識してバンドのチューニングをやっていこうと思うし、きっと良い結果がでるハズである。まぁ、人間関係でもありますよね、チューニングが合わない場合って。それは不協和音になってしまうので、よほどその嗜好の強い人でなければ避けた方が良いでしょうね。(ところで、バンド内でボクは非常にチューニングが甘い事になっていて、妻Mにいつも「ちゃんとチューングしろ」と口を酸っぱくして言われている。秘密なんだけど、ボクはギターのチューニングを若干高めに合わせていて、実はそのくらい合わないくらいの方が良いのだ、なんて思ったりもしている。まぁ、ズボンズはチューニングの甘いバンドですよね。なんか話は矛盾してるみたいだけれど。)
blog_ill.j

2004年12月08日

本が呼ぶ。

 ボクは常に読書している。
それも一冊の本に集中するのではなく、常時2〜4冊を同時進行して読んでいる。それはボクの特技でもなんでもなく、ただそういう癖、というか生活習慣としてそうなっているだけなのだけれど。今読んでいる本は、1)ドラム・マジック/ミッキー・ハート 2)覚醒への旅/ラム・ダス 3)異路倫(kerorin)/横尾忠則 4)僕に踏まれた町、僕が踏まれた町/中島らも 以上4冊である。1、2は前回書いたように自分で購入/ポッキーの借りたもの。3、4は図書館で借りてきたものである。1、2はともかく、3、4が入ってくるとそこに確固とした一貫性を見い出すのは難しくなるが、その一貫性から外れた所にあるものこそ、特にその時に求めている感覚が滲み出ているように思える。(特に4、か)ツアーが終わった今、また求めるものは変わってきているのを感じてはいるのですが……。さて、この4冊が何故に同時に読書対象として存在し得るかというと、それはまったく生活習慣、もしくは生活習慣病としか言い様が無いもので、それぞれの本が家中の別々の場所に置いてあるからにすぎない。1はボクのカバンの中、2はコンピューターの横、3はトイレ、4はリビングの引き出しの上である。つまり、外出してコーヒーなんか飲む時(ほぼ毎日)は1を読み、コンピューターで作業する時や御飯を作る/食べる時(ウチはダイニングにコンピューターが置いてある。この奇妙な事情についてはいつか解決しなければならないような気もするが、しょうがないとも思っている)に2を取り上げ、トイレに入る時はどんな短時間でも3を開き、歯磨きしてる時やリトルM(妻Mとの混同をさける為この呼び名にした)と遊ぶ時に4を手に取る。(ボクはリビングで歯を磨く。その是非は置いといて)そして読み終えた順に別の本が仲間入りし、その時の求め度合いによって本の居場所はローテーションしていく。無限軌道である。
 以前京都で広いマンションのようなホテルにバンドメンバー全員が滞在していた時に歯を磨きながら読書している姿を見てポッキーやピロは驚いていたが、特にあの二人は読書しない人間なので、常にしつこく本を読むように勧めている。というのも、自分の考え/感情をよりくわしく、正確に伝えるには語彙が必要だし、やはり深く考えるのに使う言葉をたくさん身に付けるのには読書しかないと思うからだ。(もちろん、知識も身につく)コミュニケーションする為に必要なのである。つまり、それは自分を表現するのに不可欠であり、結局は音楽におけるプレイに繋がっていく訳だから。とはいえ、同時に何冊もの本を読むというのは、何度もいうように、ただの生活習慣であってそれが何かの役に立っているか疑問ではある。散らかしっぱなしで怒られる事はあるのですが……。
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(後日談)
ツアーが終わった翌日に上を書いたのですが、その後10日間のあいだにボクの読書現在進行形は更に二廻りして、1)癒す心、直す力/アンドルー・ワイル 2)黄金の羅針盤/フィリップ・プルマン 3)薔薇色のイストワール〜ナチ占領下、パリを震撼させた舞踏家・原田弘夫の92年/養道希彦 4)ほんまにオレはアホやろか/水木しげる と変遷している。何故にこうも脈絡なく続いていくのであろうか。しかしこれはしょうがないのだ。ボクとしては、どちらかと言うと本の方からやってくる感が強いからである。これだけ無造作に読んでいるということは、つまり自分で選んでないからである。エラそうに言ってもしょうがないが。もちろん読む事によって本当に為になったものと、これはどう考えても時間の無駄であっただろうものとありはしたのだけれど、結局そこから何かを学ぶことはあったように思う。予期できないが面白い人生、それこそがボクの求める所である。(その意味で図書館の存在はありがたいものですね。とにかくランダムに本を読めるのは嬉しい。図書館に行ってボクに読まれたい本を探すのはさほど難しい事ではない。ただ目に付くから。本が呼ぶのである。そのサインをどう受けとるかだけだ。単なる偶然と考えてしまえばそれでお終いなのだけれど。)

BGM;It Is Forbidden/San Ra & His Intergalactic Arkestra
at the Ann Arbor Blues & Jazz Festival in Exile 1974

2004年12月02日

ツアーの弊害とは。

ツアーが終わるとなんとも気が抜けてしまうのは、どのミュージシャンも同じ事であろう。連日夜の8時くらいになるとステージに立つ習慣がついてしまうと、それが終わったあとも幾晩かは時間がくるとソワソワし始めたりする。体が興奮を求めてくるのである。(キース・リチャーズなどはそれを鎮める為にヘロインをやるのだ、などと言っている。ツアー中はやらないのだ、などと。その反面、ステージ上のアンプの上に白い線(!)が引いてあって、キースがそれを吸うのを目撃されてもいるが……)なので、ツアー直後のミュージシャンというものは、まるで使い物にならないホルモンのバランスの崩れた動物状態なのだと思う。やっとボクも戻ってこれた。これからはいつものバランスのとれた生活ができるのが実に嬉しい。
 ツアーの弊害、その一番の害は食生活である。ボクはかなり食生活に関してはウルサイ方である。まず、あまり食べないし、食べる時間にも神経を使う。例えば、オーソドックスなボクの一日の食事はこんな感じだ。am8:00 トーストとチーズとミルクティ/pm12:30 パスタ(その後夕食までの間にコーヒーとビスケット)/pm7:00 何か煮物(か焼き魚)と野菜(煮物であったり、和え物であったり)と味噌汁と御飯(白米、玄米日替わり)その後デザート。これで食べ過ぎなければ、毎日良いペースで活動できる。頭も体もスッキリンコである。しかし、ツアーとなると、もちろん、こんな食生活は続けられない。大体こんな感じである。am9:00 コンビニのメロンパンとチーズとミルクティ(ティーバックは持って行く)am11:00頃、移動途中のパーキング・エリアにて何か甘いモノを買ってリトルMと分けて食べる。移動中は飴、ガム pm2:00 例えば広島の場合はお好み焼き(半分)、福岡の場合はゴボ天うどんとかしわ(ラーメンなどは間違っても食べない) リハ後pm5:30 ミスドにてチョコファッションとコーヒー(これはもう、毎回同じ)2時間はダベる(何を毎日話すのであろうか……) ライブ終了後pm11:30頃、コンビニの何か(おでん/焼きビーフン/おにぎり/そば......もう何でもかまわない)リトルMはもう寝ている。ひどい。書いてて寒気がした。これがもし他人であればおもいきり説教して食の改善を迫るところである。しかしこれはこれでかまわないのだ。なにしろ連日の大騒ぎ/興奮がそれを補ってあまりあるものだから、気持ちは大満足なのである。そしてまた翌日大騒ぎしに次なる街へと繰り出して行くのだ。��ン、ツアーは楽しい。ところが、一旦東京に戻ってくるとそうはいかない。ツーンと冷えきった我が家でキッチンが「早く火をいれてくれー」と待ちわびているし、ツア−中と同じ食べ物をウチで食べると、なんとも味気ない、寂しい気分になってしまうので、自分で作る事になる。材料はないので買いにいく。しかし自分で作ったところで、それまでのワイワイやってた大勢感がないので、やはり寂しい。しかも長いこと家を空けているといやに寒いし、何か家が他人のような顔をしていて馴染まず、寂しい。その寂しい三重苦から立ち直るには時間がかかる訳である。(翌日が東京公演だったりすると、もう最悪である)それで何故かケーキとか無性に食べたくなったりして、食生活の改悪にいっそう拍車をかけてしまう。これって何かストレスからくる過食症と良く似てると思いませんか。そんなこんなで真っ当な人間に戻るのにちょっと苦労してしまうわけなのです。(でも、ボクだけかもしれない。ピロみたいに強靱無神経な内臓を持つ男は翌日から全然問題ないらしい。「いや、元気っすよ。サイコーです。」なんて電話で言ってきたりする。だからアイツはさぁ………)
 そして、何日か過ぎた後(今回は5日)、フッと完全に「あ、戻ったな」という瞬間がやってくる。今迄の過食がなんだったのだろうという程、体が軽くなるのである。思うにツアーの非日常生活の反作用として起こるストレスを解消する為に過食ぎみになるらしい。キースはヘロイン、ボクは過食(特に甘いもの)である。そこから抜け出すのにコールドターキーならず絶食をする必要がでてくるが、考えてみればキースよりはずいぶん楽なものである。一度その件についてキースと話してみたいものだ。

(追記)
今回ツアー中に妻Mと凝っていたのがコンビニのプリンである。というのもプリンが疲労回復に一番良いという話を小耳にはさんだのもあるし、寝る前に何故かどうしても甘いものをとらないと気が済まないからである。「コンビニのプリンも随分うまくなったなー」なんて話していたのだが、家に帰ってからはやはり食べないものである。
でも、プリンは良いよね。
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