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2005年05月26日

My Generation

 カエターノ・ヴェローゾのコンサートを観てきた。彼はもう60を越えているが、素晴らしいコンサートだった。もはや音楽をやるのに数字としての年齢という物差しは必要なくなった。どう年を重ねていくか、これだけが問題だろう。もちろん、音楽に限った話ではないのだけれど。かと言って、年を取れば深い表現がそれなりに身に付くかと言えば、もちろんそんな事はない。まったくない。ボクはひどい年の取り方をしているミュージシャンをたくさん知ってるし、もしかするとそっちの方が多いかもしれない。ロックにとって「年を取る」事は最大の(しかし避けられない)エネミーなのだ。いつだって。
 ところでリトルMの影響で最近初めてThe Whoを聴くようになったのですが(リトルMはKeith Moonを尊敬している)、彼等の最上のナンバ−"My Generation"のなかにこういう歌詞があることは誰もが知る所でしょう;
 Hope I die before get old(年取る前に死ねたらな)
70年代にPete Townshendは(まだ30代であったが)すでにこのフレーズを歌う事をツラく感じてたらしいが、The Whoは60を過ぎてもこのナンバーをその全てのステージで歌わなければならないし、その度にバカな批評家の「ジジイになってよくやるよ」的な冷笑を浴びなければならない。しかしボクはこう思う、これは普遍的な真実に触れているかもしれないと。つまり、誰であれ「年を取る」前に死にたい。それは数字としての年齢ではなく、もっと本質的な事でだ。
 数字としての年齢はともかく、学ぶ気持ちや前進する意欲がなくなってしまった時、ボク達は「年を取って」いく。そうなるくらいなら、やはり死んでしまった方がマシである。つまりいくつになってもその時点での自分の問題や興味にむかってまっすぐに全力で対峙していければ「年を取る」なんてあり得ない。そういう意味ではすでに20代で終��っている人もいるかもしれないし、カエターノのように、ミックのように60を過ぎても老いる事のない人もいる。それは楽な事ではない。自分を見つめ続けて何十年も生きていかなければならない事は。
 若い頃/10代の頃、すでに生きるのはツラいと感じていたが、それは減っていってるのだろうか。ウーン、それはわからない。ツラいの質が年齢/経験と共に変化していっているだけで、ツラさの本質はむしろ深まっている気がする。それをどう埋めていくか、それがボクの人生であり、芸術活動であろう。(そういう意味でいえば全ての人の人生がひとつの芸術作だとも言える)生きる事の意味は宇宙と同等に深く、果てしなく、どことなく悲しく、恐ろしいものである。一番簡単な事はそれに蓋をしてしまい、もう見ないようにする事だが、そうすれば「死」のない老いがたちまち襲ってくることになるだろう。それはもう抜け殻だ。
 だからこそ、ボクは確信をもって"My Generation"のあのフレーズに感情移入したい。ロジャーも確信を持って歌って欲しい、と思う。

ps,そのカエターノのコンサートの途中でギタリストのPedro Sa'が素晴らしくパーカッシブなギター��ロを披露したのですが、あまりにノって頭を振っていた若者が後ろの席の女性に注意されるという事があったらしい。現場の実際はどうあれこういう不寛容な人/もしくは想像力に欠ける人が最大のエネミーである、と感じる。おそらくこの女性はカエターノにこんなイメージ、と信じる所があったのだと思うが、それにしてもあのギターソロは体が嫌でも動いてしまうものだったじゃないですか。会場の大半がそういう「年取った」人達で、そんな雰囲気は強く感じたけれど。カエターノとそのバンドは素晴らしかったが、客については居心地が悪かった、とハッキリ書いておこう。(それでもしっかり自分の表現をしてしまえるカエターノは、やはりすごい精神力だ。ボクはまだその域には、全然達していない、残念ながら……)

ps2;My Generationかっこいい!とは言え、ボクの好きなThe Whoのアルバムは"WHO'S NEXT"である。歌詞がねぇ、なんかグッとくるねー。Peteいいなぁ、やはり。

BGM; Caetano Veloso/NOITES DO NORTE

2005年05月12日

DON、心の独り言……。

オーイ、みんなー、ストーンズが動きだしたぞー。
うれしかー。