すき焼きうどんと信号待ちの関係性。
ボクがまだ大学生だった頃。
何の帰りだったか忘れたが(おそらくライブかリハか)、サークルの上の人達と一緒にファミリーレストランに入った。誰にでもあるような、普段からお金のない時期だったのでファミレスに入るだけでもボクには散財だったのだけれど(しかもボクはその頃からこのメニューでこの味にこの金額を払うのはまったく不当だと考えてた。貧乏なクセに美味しくないものなんか食べたくなかったのだ。)、とにかく「すき焼きうどん」を注文した。ほどなくしてそれは運ばれてきたが、そのお盆には生卵がついてて、なんとなく嬉しい気分であった。「すき焼き」には生卵である。100%コレクトである。しかも箸を汁のなかに入れてみると、メニューの写真からは見えなかったお餅が出てきて(ボクはお餅がたまらなく好きである)すっかり得した気分になり、「ヤッター!」と大きな声で喜んだ。あまりの喜び様に隣に座っていた先輩がどうした事かと聞いてきたので、ボクは得意な顔であらましを告げたところ、その先輩は哀れみに似た表情をしてこう言った。
「おいマツオ、そんなにちいさな事をイチイチ幸せに感じてると大きな幸せはやってこないぞ。人間が一生のウチで味わえる幸せは一定なんだからな。」
もしかするとこの先輩は何かこういう教えの宗教に入ってたのかもしれない。大きな幸せを掴むために小さな幸せを喜ぶことを禁じる神様…………。ないとは言えない。
という出来事を、昨日目黒で、近道できる信号を待たずに渡れた際「ラッキー!」と心の中で叫んだ時に思い出しました。
ところでボクはちょっとした事、例えば偶然おいしいドーナッツが味わえた時なんか、もう本当に大っぴらに喜び続けているのだけれど、そのせいで何か大きな幸せを逃し続けているのであろうか?だとしたら問題だけど、とりあえずアルバムは完成したし、出来にも満足している。
(とはいえボクは、おじいちゃんが言ってた「人間は一生のウチで使える水の量は生まれた時から決まっているから、不必要に水を出しっ放しにしたらイカン。水を無駄遣いすると早死にすっゾ」という教えが子供の心に刷り込まれていて、恐くて水道は最小限にしか使わないよう心掛けている。先輩も同じ様な幼少体験があったのかもしれないですね。)
コメント
投稿者: imprinted logo pen | 2007年05月19日 10:01